山方地域山方南皆沢に鎮座する陰陽神社の祭礼。祭式は徳川光圀が定めたと伝えられています。祭礼は、3年目ごとの丑・辰・未・戌年の3月14・15日の2日間、山方地内久慈川畔の神宝地(しんぽうち 現 神奉地)に建てた仮宮に、「お浜降り」と称して神輿が渡御(とぎょ)し、盛大に祭事を行っていました。
神輿出社の行列は次のとおりです。
1 お榊(賽銭箱) 2 下り葉(奏笛) 3 下座ぶれ 4 太鼓 5 鼓 6 警固 7 鉄砲10丁 8 警固 9 鉾2本 10 伶人(笙・篳篥 しょう・ひちりき) 11 社掌(神主) 12 長柄持 13 神職 14 鎗6本 15 旗6本 16 奉幣 17 高張2丁 18 警固 19 神輿 20 台 21 警固 22 高張 23 警固 24 村役人
祭礼の際に供奉する氏子村の順序は、第一が野上、第二が長田、第三が上大賀、この間に神輿が入り、第四が小貫、第五が西野内、第六が舟生、第七の芝以降は山方で、第八が和田・大久保、第九が山方宿でした。なお、各村では余興として風流物か踊屋台を出し、また、いつの頃からか、野上と和田・大久保で交代に火消行列を出すようになりました。火消行列は、5才以下の男児1名を総指揮者として担当地区から選出し、「殿様」と呼んで騎馬で行列に加わえました。
祭礼全体に、西金砂神社小祭礼の影響を見ることができます。
しかし、この賑やかな祭礼も、明治中頃には長田、上大賀、小貫、西野内が氏子から抜け、昭和12年に執行されたのを最後として、現在は行われていません。
(参考/『山方町誌 上巻』昭和51年)