阿弥陀院

あみだいん

 五仏山阿弥陀院西蓮寺(ごぶつさんあみだいんさいれんじ)、通称 阿弥陀院は、緒川地域国長(くにおさ)にある、真言宗豊山派(ぶざんは)の寺院です。

 現在は奈良県にある長谷寺(はせでら)の末寺ですが、もともとは那須一族が祈願寺として那須福原(栃木県大田原市)に建立した宝持山金剛寿院伝法寺の末寺でした。那珂川流域での真言宗布教の拠点として金剛寿院の影響力は大きかったようで、江戸時代前期にまとめられた水戸藩の「開基帳」によると、緒川地域の旧八里地区には金剛寿院の末寺が数多く記載されています。

 国長の阿弥陀院は、室町時代半ばの宝徳2年(1450)には当時の住職 祐誉(ゆうよ)が中興したことを記す古文書が所蔵されており、また、歴代住職中に当時の高僧 宥応(ゆうおう)がいるなど、金剛寿院末寺の中でも、歴史が古く格式も高かったと考えられます。

 阿弥陀院は天保期の寺社改革、幕末の騒乱をくぐり抜けてきましたが、明治35年の暴風により堂宇が破損、修復して現在の堂宇となりました。本尊は、鎌倉時代に中央(京都や奈良)の仏師によって造立された阿弥陀三尊像で、県の文化財に指定されています。

 佐竹氏ゆかりの寺社や城跡が多くある中で、戦国期を中心に下野国(栃木県)那須郡内を勢力下においていた那須氏ゆかりの寺が国長にあるということは、国長を含む現在の県境付近の地域が、歴史的に常陸と下野の国境として特殊な位置にあったことを改めて認識させてくれます。

(広報 常陸大宮「ふるさと見て歩き 48」平成21年4月より)