甲神社

かぶとじんじゃ

 大宮地域下町に鎮座する神社で、祭神は熯速日命(ひはやひのみこと)、甕速日命(みかはやひのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)です。

 社伝によれば、大同2年(807)に藤原良継が勅命を受けて甲明神を祀ったのがはじまりといいます。社名は、佐竹初代 昌義(まさよし)が、源氏の祖である源経基(みなもとのつねもと)の甲を奉納したことに由来すると伝えられています。かつては部垂(へたれ 大宮)・宇留野・樫村(富岡)・小倉・塩原・辰ノ口・岩崎・上根本(鷹巣の一部)・横瀬(鷹巣の一部)・八田・菅又(若林)・引田、12ケ村の総鎮守でしたが、近世水戸藩の一村一社制により、元禄年間以降は部垂村一村の鎮守となりました。

 境内地は部垂城跡東に位置し、もとは城内域に祀られていた城の守護神として、歴代城主の篤い信仰を受けてきたようです。社宝となっている6面の能面(県指定文化財)、二股竹(市指定文化財)、源氏系図(市指定文化財)は、部垂義元が奉納したものと伝えられています。また、弘治3年(1557)、佐竹18代当主 義昭は、部垂の乱で滅んだ反乱者の鎮魂と地域の安定を図って甲神社の大修理を行ったようです。その折の家臣に対する寄附割当て帳である「奉加帳(ほうがちょう)」(県指定文化財)が伝えられており、そのほかにも社宝として刀一振、剣一振(共に市指定文化財)があります。昭和50年頃まで境内に、永禄3年(1560)に佐竹18代当主 義昭(よしあき)が奉納した石鳥居が残っていましたが、現在は建て替えられ、境内隅に礎石が残されているのみです。

 歴史ある「部垂」という村名は、語呂が悪いとの理由から村民から改名願いが出され、天保14年(1843)3月に認められて、大宮村となりました。この村名は、人々の尊崇の対象であった鎮守 甲大宮(甲神社)にちなんだものです。

 甲神社の境内には、勇壮な祇園祭(大宮の祇園)で有名な摂社 素鵞(そが)神社も鎮座しています。この社は元禄年間にこの地に遷されたものです。

(参考/『大宮町史』昭和52年、『大宮町史 史料集』昭和55年)