楢原山法徳院(ならはらさんほうとくいん)法専寺。大宮地域東野にある、二十四輩第十九番の浄土真宗大谷派の寺院です。
開基の明法房(みょうほうぼう)は、播磨公弁円(はりまこう べんねん)と名乗った修験者(山伏)でした。法専寺では、弁円は平清盛の孫 平能宗(たいらのよしむね)と伝えられていますが、開基を同じくする上宮寺(じょうぐうじ 那珂市)では、弁円の出自を関白 藤原忠通の曾孫としています。
親鸞の専修念仏を妨害しようと、板敷山(いたじきさん 石岡市)で待ち伏せしていた弁円が、親鸞の人となりに打たれて帰依し、弟子となった逸話は有名です。明法は、建暦2年(1212)、佐竹氏3代秀義に招かれて塔之尾村(とうのおむら)楢原(大宮地域東野)に法徳院を建立。寺領500石を与えられ、寺坊350、門弟百余名を数えたと伝えられています。現在の法専寺の位置は楢原より東に当たり、遊歩道が整備された楢原の地には明法の墓と伝えられる塚があります。
(参考/常陸大宮市歴史民俗資料館企画展「親鸞の高弟たちー常陸大宮の二十四輩ー」展示解説 2012)