大宮地域鷹巣(たかす)にある曹洞宗寺院、日照山高長寺(にっしょうざん こうちょうじ)境内にある石仏。本尊の釈迦如来像とともに文政9年(1826)に造立された、16体の羅漢像です。
「羅漢」とは、仏教の世界で釈迦の弟子として修行中の聖者を指し、そのうち十六羅漢は「おびんづるさま」として知られる鬢頭蘆尊者(びんずるそんじゃ)以下の16名の修行者とされています。市内で羅漢の石像があるのは高長寺のみで、現在は16体のうち半数近くが破損していますが、背面にはそれぞれの尊名が刻まれており、台座や持ち物なども16体がすべて異なった像容をしています。
十六羅漢には、年に4回(春秋彼岸、7月・12月の第2日曜)、高長寺婦人会の人々によって石像を参拝し洗い清める、「お洗い」と呼ばれる行事が行なわれています。
羅漢像の中尊である釈迦如来の台座には、高長寺15世の月山梅照(ばいしょう)が羅漢像の造立を思い立ったことや、その完成までの経過を詳しく記すとともに、多くの人々によって小石が集められ、大乗妙典経一部八巻を一石に一字ずつ書き写して石像を安置した地下に埋納したことなどが刻まれています。
大乗妙典経は約6万8千もの文字で成っている経典ですので、銘文通りであれば、埋められた小石の数もおよそ6万8千ということになります。
もともと十六羅漢と釈迦如来像は現在地より100mほど南に安置されていましたが、大正期頃の久慈川河川改修に伴って高長寺境内に移されたといわれています。このときに地下の一字一石経も掘り上げられ、桶に入れて羅漢像の移動先の地下に再び埋められたと伝えられていました。
境内の整備に伴って石像は再び移動することとなり、平成22年10月、高長寺と檀家の人々によって地下の一字一石経が掘り出されました。このとき掘り出された石の重さは2.5トン、おそよ2万個と推計されました。
その後2年以上を経過した平成24年12月から翌年2月にかけて、市教育委員会生涯学習課と歴史民俗資料館で保存のための調査を行なったところ、経石は約6万4千個あり、2度の移動にもかかわらず、ほとんどの経石が残っていたことが確認されました。石の大きさは直径5cmから10cmほどで、程近い久慈川の河原で集められたと考えられます。小石に書かれた文字が判読できるのは半数ほどですが、決して豊かではなかった当時の人々の篤い信仰心に心打たれます。
(参考/広報 常陸大宮「ふるさと見て歩き 53」平成23年2月)