指定種別 | 種別細別 | 指定名称 | 所在地域(旧町村) | 所在地区 |
県指定 |
有形民俗 |
ささら獅子頭(3点) |
大宮 | 下町 |
大宮地域第6区(下町区)所有の、一人立ち三匹獅子舞に使用したと思われる獅子頭で、3点のうち2点の頭の内側に「永正十四年丁丑六月」の墨書があり、現存する三匹獅子舞の獅子頭として現存する最古のものです。※永正14年は西暦1517年
大宮の祇園で用いる下町区有の屋台を収納する倉から昭和29年に偶然発見されたもので、獅子舞についての伝承はなく、かつては祭礼の行列に獅子が加わったとの古老の談話がありますが、その折にこの獅子頭が使用されたか否かは不明です。
頭は、上顎と下顎に分かれており、顎の後部を紐でつないでいます。当初の彩色の上に胡粉を塗って金泥や彩色を施し、頭部には鳥の尾羽を付けていたとみられます。
研究者によっては、3点の獅子頭のうち墨書銘のある2点が古く、他の雄獅子は後世に加えられたのではないかと考えています。(いばらきの文化財)
”一人立ち獅子舞”とは、神楽系の獅子舞のように一人が獅子の前足を務めながら頭を操り、他の人が後ろ足を受け持つ2人以上で舞うものとは違い、一人が一頭の小型の獅子頭を仮面のように顔面に着けたり頭上に載せたりして、腹部に太鼓や鞨鼓(かっこ)をつけて3人一組で踊る、東日本に広く分布している芸能で、風流系三匹獅子舞ともいいます。
獅子舞には魔よけの効果があると考えられており、祇園祭などの疫病除けや、盆や彼岸の時期などに多く行なわれる芸能です。獅子頭に墨書された永正14年は、佐竹氏中興の祖といわれ、部垂義元の父である 佐竹義舜(よしきよ)の没年に当たります。また、この獅子頭に次いで古い寛永8年(1631)銘をもつものは、福島県いわき市内郷高野町にありますが、義舜の正妻である義元の母は、現在のいわき市周辺の領主であった岩城氏の出身です。芸能史のみならず、佐竹氏に関連する歴史の上からも興味深い文化財です。
(参考/町田市立博物館図録『獅子頭ー東日本を中心にー』平成8年 ほか)