大宮地域の南東、久慈川と玉川の合流点付近の久慈川西岸、標高20~21mの低位段丘に位置する泉字坂下にある縄文時代晩期から奈良・平安時代までの複合遺跡。特に、人面付土器を出土した弥生時代の再葬墓遺跡として有名です。
当時の大宮町歴史民俗資料館(現 常陸大宮市歴史民俗資料館)に土地所有者から寄贈されていた壷型土器が弥生時代中期の遺物であることから、研究者の間では弥生再葬墓が存在する可能性が指摘されていました。平成18年度の冬、同遺跡から出土していた石棒の未成品から石棒製作趾の可能性と再葬墓の存在を探るべく、土地所有者のご協力のもと研究者有志が36㎡の学術調査を行なったところ、ほぼ完形で国内最大の人面付土器(通称 いずみ)を含む数多くの土器を埋設した弥生時代中期の再葬墓7、土壙墓3、平安時代の住居址1が検出されました。
遺物はすべて常陸大宮市に寄贈され、再葬墓関連遺物は平成25年度に茨城県有形文化財に指定されました。遺物の一部は市歴史民俗資料館 大宮館の常設展に展示されています。
遺跡は国指定史跡を目指して平成24年度から学術調査が進められており、平成26年秋には、その中間報告として、シンポジウムと企画展の開催を予定しています。
(関連刊行物/調査報告書『泉坂下遺跡』常陸大宮市教育委員会 2011、『画報 泉坂下遺跡』常陸大宮市教育委員会 2012)