江戸時代、主君や親によく仕え孝養を尽くした者や、夫に尽くし貞節を守った妻、農業に励み年貢上納に努めた農民など、藩や地域の領主が理想とした農民たちには、盛んに表彰が行われました。水戸藩も例外ではありません。

 治世を安らかしむるため、善行者を顕彰することは幕府にも及び、『官刻孝義録』(かんこくこうぎろく)を編さんして、17世紀後半以降の8,600人もの記録が残されています。そのうち、常陸国全体で440件余り、常陸大宮市域の善行者は64件を数えます。

 ここで取り上げる孝子 無事衛門節婦 ヤスは、『官刻孝義録』には載っていませんが、その善行が北領巡視中の前藩主徳川光圀の耳に入り、時の水戸藩主 綱條(つなえだ)から褒美をうけています。このような表彰の対象者には、善行だけでなく、「苦境にも屈せず年貢を完納する」行為が重要な要素として必要でした。

 

(参考/広報 常陸大宮「ふるさと見て歩き 6」平成17年10月)