実施日/毎年11月第3土曜日(かつては旧暦10月16日深夜)
鷲子山上神社の秋祭。かつては、下野(栃木県那須郡那珂川町矢又・大那地)と常陸(茨城県常陸大宮市鷲子)双方の氏子のうち、決まった家の当主が代々神領頭人を務め、神職とともに祭事に当たってきましたが、現在では栃木県側の氏子のみが参加して執行されています。
古儀では、頭人(とうにん)は前日の15日より社務所に詰め、16日夕刻には、頭人各自が提灯を持ち、樽に半分入れた甘酒を持参して挨拶、子の刻(午前0時)より太鼓の合図で祭典準備や社務所への集合、本宮への参進を行い、本殿への献饌ののち、楼門、稲荷社で祓詞(はらえことば)を奏上、本殿で祝詞奏上などの祭儀後、神職と頭人で煮た黒豆を肴に甘酒を飲む御神酒開きを行います。盃や黒豆を載せる皿として、栗材を割って作ったヒギを用いるのもこの祭礼の特徴です。その後、一行は小田野道と呼ばれる道を通って社務所に退下します。
丑の刻(午前2時)、一行は本殿西側の三本杉前に参進して着座し、三本杉祭典とよばれる神事を行います。これは、頭人が用意した搗きサゴ(白米)荒サゴ(玄米)に御幣を突き立てて御幣開きを行った後、頭人が持参した小粒の団子を撒き、黒豆を肴として甘酒を飲んで終わります。本殿祭同様、一同は社務所に戻ります。
寅の刻(午前4時)、急太鼓を合図に3人の頭人は袴の股立ちを取って各自旗を持って石段を駆け上がり、前もって上がっていた頭人一人が、搗きサゴと荒サゴを撒きながら本殿を3周駆ける。旗は葦に和紙をつけたもので、それぞれに「狭伎國波廣久嶮志伎國波平介久(狭き国は広く険しき国はたいらけく)」「手乎擧解弖相倶爾舞布皆面白志(手を挙げて相ともに舞う皆面白し)」「近伎者波来利遠伎者波悦布(近き者は来り遠き者は悦ぶ)」と書かれています。本殿に一同着座後、開扉し、旗と籠に入れた御供えを奉献、祝詞を奏上し、神事を終えます。
平成19年からは、祭日を新暦の11月第3土曜とし、午後5時半より略式で執行していますが、古い祭りの俤を十分に伝える、身も心も改まる祭礼です。