六字様とは「南無阿弥陀仏」の六字の名号(みょうごう)のこと。名号を書いた灯篭や、阿弥陀如来の種子(しゅじ 仏を表す梵字)キリークを示した纏(まとい)に花飾りを施した、ホロあるいはシナイと呼ばれる飾り物を担いで集落を巡り、疫病除けを行う年中行事の名称です。ロクッチャマあるいはログッチャマと呼び慣わされています。隣接する栃木県那珂川町の大那地(おおなじ)で行われているほかは、常陸大宮市域でしか見ることのできない行事です。
市の無形民俗文化財に指定されているのは、緒川地域小舟地区の前屋集落と大貝集落が共同で行っている六字様ですが、ほかにも、同地域では大岩地区全域、美和地域の氷ノ沢地区の元沢集落、高部地区の大貝、三ツ木(みつぎ)、東河戸(ひがしごと)、仲河戸(なかのごと)、入檜沢の各集落、鷲子地区の下郷集落の、合わせて9ヶ所で行われています(平成21年調査時)。かつて行っていたという所は、緒川地域では小舟地区の萱坪・上郷・宿・石原の4集落共同で行っていたものと、油河内(ゆごうと)地区の2ヶ所、美和地域では氷之沢地区の表郷集落で、市内北西部の隣接する集落に集中しています。
行われる時期は、盆を中心とした旧暦7月1日から18日で、現在は月遅れ8月の、当たり日に近い休日を利用している地区が多くなっています。
詳しい起源を示す史料は見つかっていませんが、小舟の前屋・大貝では、地域に疫病が蔓延したことが契機となって始まったと伝えられており、行事の中で当番の人々が参拝する名号塔("南無阿弥陀仏"と刻した石塔)は宝暦10年(1760)の建立、また、山深くにあるため現在は参拝が省略されていますが、人々が「ロクッチャマの石」と呼んで拝んでいたという「百同念仏供養塔」と刻された石塔には寛政5年(1793)の銘がありますので、江戸時代の中期から後期には、すでに行事が始まっていたと考えられます。また、六字様を行っている多くの地域に名号塔や百堂(同)念仏塔があり、いずれも文政年間(1818~1830)までに建立されています。
行事は、割り竹に紙で作った桜花を飾りつけたシナイやホロ等と呼ばれる花飾りとお札を作る、花飾りを担いで集落の一軒一軒を歩いて村回りをする、夕方ヤドの庭に立てた花飾りを地域住民が参拝する、という内容です。行事の中心は、花飾りを持っての村回りにありますが、現在花飾りを作っているのは4ヶ所(小舟前屋・大貝、大岩、高部仲河戸、同東河戸)、村回り(現在は軽トラック使用)を行っているのは2ヶ所(小舟前屋・大貝と大岩)のみです。高部地区の六字様は、かつては太鼓を打ち鳴らしつつ進む村回りの一行に、子ども達も木製の刀や男根を持って加わり、賑やかな祭礼だったといいます。また、鷲子下郷では、集落内の石塔や石仏のある場所など決まったところで念仏唄を歌ったといい、六字様行事が、古くは唄やおどりを伴った百堂念仏供養であった可能性があります。
(参考/茨城県教育委員会『茨城県の祭り・行事ー茨城県の祭り・行事調査報告書ー』2010)
※下記「地域文化資産ポータル」で『常陸大宮市の祭りと行事』中の「六字様」記録映像をご覧いただくことができます。