大宮地域八田地区にある、凝灰岩の崖に横穴を掘り込んで造った墓で、市の史跡に指定されています。
横穴墓は、古墳時代の後期から平安時代初めまで、全国的に採用された墓で、八田雷神山のものは、8世紀から9世紀に造られたと考えられますが、発掘調査を行なっていないため、全体の横穴の数や使用された時期など、詳しいことは不明です。
横穴墓群は、ひたちなか市の十五郎穴横穴墓や常陸太田市の幡横穴墓群など、100~300基もの大規模なものが知られていますが、八田雷神山の横穴墓で確認されているものは5基にすぎず、1基は天井部を球状に掘り込んだドーム型、他の4基はトンネル状にアーチ型に掘り込んでいます。
雷神山の南の尾根には、天井部分が家形に掘り込んだ横穴もある、岩欠(いわかけ)横穴墓群もあります。
(参考/大宮町歴史民俗資料館特別展図録「大宮の考古遺物」1995)