常陸大宮市内には、浄土真宗の開祖 親鸞聖人(しんらんしょうにん)にゆかりの人々と関係の深い寺院(二十四輩)や寺院跡が複数あります。緒川地域下小瀬の大根田にあった願入寺もそのひとつです。
現在、願入寺は県内の大洗町にあり、浄土真宗の名刹です。願入寺の始まりは、親鸞聖人の孫 如信(にょしん 本願寺第2世)が、13世紀後半に奥州白河郡大網(福島県石川郡古殿町説と西白河郡泉崎村説があります)に開基した「奥の御坊」または「大網御坊」と呼ばれた寺院です。如信はその後、常陸国金沢(大子町)の草庵に移り、大網御坊は息子の浄如が継ぎました。如信はこの金沢の地で生涯を終えたと伝えられています。大網御坊は如信の孫 3世空如のときに「願入寺」と名前を変えたようです。
大網御坊(のち願入寺)では如信から7世源如までがその地で布教したとされますが、8世如慶の代の文安年間(1444~1448)、奥州の乱の戦火を逃れて下小瀬の大根田に移ってきました。如慶は、本願寺中興の祖といわれる蓮如の東国下向を助け、資金面でも協力したようで、蓮如が大根田御坊宛に出した礼状が、現在も大洗の願入寺に遺されています(県指定文化財)。
その後も願入寺の移転は続き、10世如了のとき菅谷(那珂市)へ、12世如正のとき佐竹氏の招きによって久米(常陸太田市)へと遷されました。江戸時代になり、願入寺が荒廃していくのを惜しんだ徳川光圀により、15世如高のとき300石の朱印地と磯浜村岩船に5万2千坪の敷地を与えられ、藩内最大の寺院となりました。
願入寺が去った大根田の地には、その後、国長(くにおさ 市内緒川地域)にある阿弥陀院の末寺 真言宗成就院(じょうじゅいん)が創建されました。現在は、成就院の境内社として祀られていたといわれる清龍権現(せいりゅうごんげん)の祠と、大根田願入寺・成就院跡の記念碑があるばかりです。
(参考/常陸大宮市歴史民俗資料館企画展「親鸞の高弟たちー常陸大宮の二十四輩ー」展示解説 2012、広報 常陸大宮「ふるさと見て歩き 32」平成19年12月)