前小屋城跡は大宮地域泉にあります。東に久慈川を望む大宮台地東端には、北から部垂城、宇留野城、前小屋城が至近距離で築城されていました。前小屋城の本城部分には、「泉の観音さん」として知られる種生院(しゅしょういん)があります。
発掘調査をしていないため、成立年代などの詳細は不明ですが、最初の築城者は秀郷流藤原氏系の那珂氏の分流で、のちに佐竹家臣となる平沢丹後守通行と伝えられ、平沢氏の衰亡後は佐竹一族の小場(おば)氏5代義忠の弟 義広の居城となり、前小屋氏を名乗りました。15世紀後半のことと考えられます。
以来、前小屋氏は小場氏の重臣として活躍し、慶長5年(1600)小場氏の小田城(つくば市)所替えに伴って小田に移り、前小屋城は廃城となりました。
前小屋城跡には遊歩道が整備され、城の遺構を見学することができます。前小屋城は東・西・北の三方を水田と谷津に囲まれた天然の要害の地で、南北300m、東西最大200mの連郭式平山城であり、台地端部に沿って4つの曲輪が並び、種生院が建つ本城部分の西側に馬出(うまだし)状の曲輪があります。土塁や薬研堀もよく残っており、見ごたえがあります。
(参考/茨城城郭研究会『茨城の城郭』2006、広報 常陸大宮「ふるさと見て歩き 5」平成17年9月)