17世紀中頃、山方村に生まれ育った大串無事衛門は、幼少の頃から父母を敬い、その言いつけを守って逆らうことがなく、学問に励みました。
父の死後は、年老いた母が快適に暮らせるよう、季節によって寝床を替え、歩行の際には必ず付き添い、神社仏閣へ行きたいと言えば夫婦で仕事を休んで従うというように、すべて母の意に沿うよう心を砕き孝養を尽くしました。また、盲目の兄にも父母同様に仕え、感心した村人は無事衛門に協力を惜しまなかったといいます。
その善行を聞き知った光圀の推挙により、孝子として藩主綱條から褒美を受けました。
本人の没後も、近代に入ってからも度々顕彰され、明治20年(1887)には、無事衛門家の断絶を惜しみ、当時の山方村長根本強は長女にその跡目を継がせて大串家を再興しています。
山方の常安寺入口に無事衛門の墓があります。
(参考/広報 常陸大宮「ふるさと見て歩き 6」平成17年10月)